団地のアルバムプロジェクト 細谷さん(元・酒井屋さん)の話
「団地のアルバムプロジェクト」について
今年で築50年を迎える大型団地、北本団地。半世紀の歴史の中で、この場所に関わった色んな人達の思い出を集めて「団地のアルバム」を作ってみようというプロジェクトです。第二回のインタビューは、かつて北本団地商店街にあった酒屋さん「酒井屋」の細谷さん。駄菓子を買ったりお酒を買ったり、団地に住んでいた人にとっては思い出の一ページになっている酒井屋さんに、北本団地商店街の思い出を伺いました!
― 今日はよろしくお願いします。細谷さんは何年生まれなんでしたっけ?
1968年だね。今は52歳です。
― 団地にはいつ頃住んでいましたか?
幼稚園くらいの時に団地に引っ越してから70年代の前半かな、生まれは東京の墨田区なんだよね。
ー 団地に来るきっかけはなんだったんですか?
父親がもともと墨田区の方で酒屋で働いてたんだけど、独立して自分のをやりたいということで場所を探してたみたい。たまたま北本団地商店街が出来る時で、テナントを募集してたから、タイミングがあって応募して、越してきたのかな。
ー北本団地が出来たタイミングで引っ越してきたんですね。当時はどんなお店がありました?
当時はうち(酒屋)の他にスーパー、肉屋、魚屋、本屋とか金物屋、なんでもありましたね。商店街全部埋まってたからね。
キャプション オープン当時の配達車。ピカピカ。
ーそれは賑やかそうですね。僕らの世代(1986年生まれ)も知らないお店がありそうです。じゃあ買い物はほとんど商店街でした?
うん、アパレルっていうかファッションは無かったけど、それ以外は全部あったからね。団地の外に出なくても暮らせる感じだったよね。
ー商店街の皆さんは、2階に住みながら1階でお店を出していたんですか?
最初はみんな住んでいたよ。時間が経つにつれて、子どものが大きくなったり、家を建てて外に住み始める人もいたりしたけど。お店には通う感じになってたね。
ーみんな住んでた当初は、特に商店街って感じが強かったんですかね?
そうだね、強かった。それこそ、みんな知り合いだもんね。
スーパーで買い物してる人がどこの誰とかまで分かっている状態だったし、うちでパートで働いてくれる人も当然団地の人だったし。商店街も、団地も、みんな近かった。
キャプション 商店街の裏は庭みたいな感じ。
ー商店街だけでなく、団地全体が繋がってる感じだったんですね。北本団地に住んでいて、特に思い出に残っていることはありますか?
お祭りは一大イベントだったよね。団地祭。とにかくすごい人だった。
ー先日自治会さんで歴代の団地祭の写真を見せてもらいましたけど、賑やかな写真ばかりでした。みんな楽しそうで活気に溢れてる感じで。
御神輿も盛大だったし、お祭りをやってる広場の方だけでなく、商店街の中でもカラオケ大会したりしてたもんね。当時は3日間やっていたし、その時はご年配から子どもまで本当に楽しんでいたよ。
ー3日間やっていたの、うっすら覚えてます。今は二日間ですもんね。復活させたいな三日目。当時一緒に団地で過ごした仲間と集まったりすることもあるんですか。
小学校の先生が素晴らしくて、そのおかげで今も仲が良いんですよ。当時、携帯電話なんてなかったけど、先生が「一回りする12年後にまた栄小学校で会おう」って言ってくれて、12年後に本当に再開したんだよね。ほとんどのクラスメイトが集まって。それから今もたまに会ったりして繋がってますね。
ーその集まりの時に団地に来たりする事はあるんですか?
最初の頃は「団地に行こうよ」って団地に足を運んだよ。みんなそれぞれ別の場所で暮らしているけど、北本団地で育ったってことが強い印象だからね。
ーなるほどー。私の同級生たちもやっぱり同じように愛着があるんですよね。たまに会おうかってなると、なぜか団地に集まったりして。楽しかった記憶があるからなのか、自分たちのふるさとは団地ってイメージが強いんです。
そうだよね。公園や商店街に行けば誰かしら遊び相手がいたから楽しかった。
子どもが小さい頃に団地祭に行きたいって言うから連れて行ったんだけど「酒屋さんだー」って昔のお客さんが声かけてくれたりして。団地はなんとも言えないコミュニティだよね。
キャプション たくさんの写真をお持ちいただきました。
ーそうですね。私たちの中でも酒屋さんは有名人で、駄菓子を買ったりすごく思い出深い場所です。肉まんとかフローズンも置いてくれてましたよね?
あったねー。肉まん、フローズン!アイスを仕入れていた問屋さんが色んなもの扱ってたから、それで始めたのかな。酒屋は御用聞きとか宅配の仕事もあるからね。求めてくれる人がいるなら、色んなことやろうと。
キャプション 当時の商店街はアーケードがなく、雪が積もって大変。活気があります。
ーフローズン美味しかったの覚えてます、思い出の味です。宅配は団地限定でやっていたんですか?
やっぱり団地でお店やってたから団地のお客さんが圧倒的に多かったね。近所の人もちょこちょこやってたけど。御用聞きして、お酒だけじゃなく食べ物とかも配達して。
ー御用聞きって今だとあんまりイメージができないんですけど、何でも屋さんみたいな感じもあるんですかね?
そうだね、注文もらって宅配してって流れなんだけど、配達ついでに結構お客さんの困りごとも聞いていたかな。それこそ電球変えてくれとか。笑
今ってこれをしたらいくらとかなっちゃうけど、ついでだからサービスで色々やってたよ。商品リストにないものまで買って配達してあげたりとかね。何でも頼まれて、俺は便利屋じゃないぞって思ったりもしたけどね。笑
ーお酒を届けるだけでなく、困っている人を助けていたんですね。
そうだね。だからお店を辞めてからも「あの人元気にしているかな」と今でも夢に見ることがあるよ。
ー今でもお客さんの夢をみるって素敵だなと思います。今後、商店街がどうなったら嬉しいなどありますか。
そうだなー、やっぱり今の状態はちょっとさみしく感じるから、1つでも2つでもシャッターが開いたら嬉しいよね。いきなりお店じゃなくても、月1回とか縁日みたいにお店が並んだり、人が来て楽しむ機会があると楽しくなるんじゃないかなあ。
団地は車の通りがないし、公園が多いし、子どもを遊ばせるにはいい場所なんだよね今でも娘を連れて、自転車の練習をしに来たりする。その時にちょっと寄れる場所があると嬉しいな。
ーそうなんですよね、団地は車が入ってこないから、子ども達を安心して遊ばせられる。私も実家に来るついでに、子どもとよく遊んでいます。そういう、良い部分がたくさんあるんですよね。
外から遊びに来るには駐車場が少なかったりするけど、すごく遊ばせやすいよね。だからやっぱり、買い物ついでに子どもが遊べるようなイベントをやってくれたらいいな。子どもに引っ張られて大人も来るんじゃないかな。
ーありがとうございます。僕らが作る場所でそういう企画をやれるように頑張ります!
最後になりますが、北本団地の思い出の写真、持ってきていただいたものを見せてください。
はい、これなんですけど、5、6歳くらいのときかなー。
商店街のイベントでウルトラ怪獣が来たんだよね。
ーおー。商店街でそういうヒーローショーみたいなものもやってたんですね!なかなかインパクト強いですね。後ろに見えるのは地産ストアの看板かな。こんな感じだったっけな、懐かしい。
これはすごく記憶に残ってて、写真自体はどこいったか分からなかったんだけどこの写真を撮ったことは強く覚えてたんです。今回、実家から探し出して持ってきました。
―いやー、僕らの知らない団地の姿が見えてすごく楽しかったです。僕らのプロジェクトでは色んな人の団地の思い出を聞き集めて、団地のアルバムを作ろうと思っているので、また色んな人の思い出が集まってきたら、ぜひ細谷さんにも観ていただきたいです。本日はありがとうございました。
(吉川の感想)
私たちの思い出を作ってくれた酒屋さん。
大人になりお話を聞いて感じたのは、駄菓子屋さんや酒屋さんとしての「お店の顔」だけでなく、宅配で色んなお客さんの話を聞いて回っていた「御用聞き」の仕事の大切さでした。
商店街では子どもたちの思い出を作り、そしてお酒を配達しながら御用聞きとして人の暮らしを支えていた。「暮らしを支える酒屋さん」だったんだなーと感じました。
素敵な時間ありがとうございました。
細谷さんプロフィール
1968年生まれ
幼稚園の時に北本団地に引っ越してくる
22歳〜団地商店街で酒屋さんとして働く
現在は商店街のお店は閉めてしまったが、北本市内で生活している