団地のアルバムプロジェクト 飯島さんの話

団地のアルバムプロジェクト 飯島さんの話

「団地のアルバムプロジェクト」について
今年で築50年を迎える大型団地、北本団地。半世紀の歴史の中で、この場所に関わった色んな人達の思い出を集めて「団地のアルバム」を作ってみようというプロジェクトが始まりました。第一回のインタビューは北本団地で生まれ育った飯島さん。当時、団地内にあった病院で生まれ、数年前まで団地に暮らしていたという生粋の団地っこ、飯島さんに団地の思い出をお聞きしました。

飯島さん
1978年北本団地で生まれる
2006年〜東京都内のイタリア料理店にて従事
2017年 北本市内にイタリア料理イッチア開業
現在は、キッチンカーでピザの販売

【飯島さんの団地のアルバム】

聞き手:北本団地プロジェクト 吉川将太

1978年生まれで、今年で43才になる飯島さんにインタビューにしました。1978年は、山口百恵さんやサザンオールスターズの歌が流行っていたり、羽田空港が開設したり、ディスコブームなど社会が大きく変化するタイミングでした。そんな時代の中、北本団地にはどのような暮らしがあったのか、思い出を聞いてみました。

【幼少期の記憶】

北本団地には、たくさんの公園があります。そんな団地の中心にある公園が「ぞうさん公園」です。ぞうさん公園という名称も誰が名付けたかわかりませんが、飯島さんも物心ついた時には自然とぞうさん公園という名称で呼んでいました。幼少期の遊びとしてワニ落としや靴とばしがあったそうです。

ワニ落としとは、ぞうさん公園の名前の元になった大きなゾウの滑り台を使って行う遊びです。ワニ(鬼)が滑り台の下から駆け登り、滑り台の上で足を投げ出して座っている人を引っ張り落とすゲームで、ぞうさん公園の遊びでは定番のものでした。靴とばしは、ブランコを力一杯こいで勢いをつけ、履いていた靴を蹴り飛ばし、距離を競うシンプルなゲームです。また他に、団地内では秘密基地作りもしていたそうです。この秘密基地作りは、高学年にならないと基地を作っては行けないというルールがあったそうです。

こういう小さなルールが勝手に作られたり、子供たちの間で遊びが継承されていたことが印象的でした。誰かの家のルールでなく、共同空間の中で勝手に子供たちがルールを作り遊んでいたという話が聞いていて面白かったです。

【商店街の記憶】

飯島さんが育った頃の商店街には3つの駄菓子屋さんがあったそうです。50円だけ持って駄菓子屋さんに行けば楽しめたという記憶や、ビックリマンチョコをよく買いに行ったことなど、駄菓子屋さんの楽しいエピソードが印象に残っているそう。
駄菓子屋で売っていた「フローズン」の味もとても思い出に残っているそうです。

商店街にまつわる記憶でもう一つ印象的だったのは、商店街の中心にある時計台の話です。時計台は何故かみんなの集合場所として使われており、地元の仲間が別々の高校に別れていった後も、高校が終わると時計台の下に地元の仲間が集まるという習慣があったそうです。

なぜか時計台の下には、団地で育った人だけでなく、団地外の人も足を運び時計台でおしゃべりをするというコトがあったそうです。団地の外の人まで、わざわざ時計台に集まってくるという文化が不思議で、面白いエピソードでした。

【インタビューを終えて】

飯島さんの話を聞いて、高校生になっても時計台にわざわざ集まるという、たまり場の機能があることが非常に面白いという印象でした。家の中に集まるわけでなく、冬は寒い、夏は暑い場所であるにも関わらず、あえて野外の共同空間に集まる文化があることが面白いと思いました。

公園(共有空間)で子どもたちが子どもなりにルールを作って遊んでいて、それが受け継がれていたという幼少期の思い出も面白く、遊んでいるうちに自然と創造する力を養うことができていたのかなと感じました。

時計台や公園など、誰もが使うことができる共有空間の多い団地では、遊んでいるうちに自然と場所の使い方を学んで、自由に過ごせるようになるのかなと感じました。

時計台の周りには、昼にお母様方、15時以降に小学生、夕方以降に高校生が集まるようなそんな時間帯によって色々な世代が集まる場所としての機能があったのだろうと妄想します。時計台の周りにはどんな時間があったのか、他の人にも聞いてみようと思いました。(北本団地プロジェクト 吉川将太)